油断大敵

 日がとうに沈んだというのに、明かりもついていない薄暗い部屋。その中央に山伏国広は座していた。山伏装束の全身がほこりと血にまみれ、今すぐにでも手入れが必要なようだった。右腕の傷にそっと触れる。瞬間、痛みで体がふるえ、胸に苦々しいものがせりあがってくる。
「修行が足りない」
 山伏がそうつぶやいたとき、母屋のほうから静かに、しかしいらだちを隠せずにすたすたと廊下を歩く音が聞こえてきた。足音が部屋の前で止まると、間髪をいれずに大きな音をたててふすまが開いた。
「山伏くん、きみ、いつまでそんな恰好でいるつもりだい。身だしなみはきちんとしてほしいな」
 断りもなくずかずかと入り込んできたのは、内番服姿の歌仙兼定だった。料理を中断して来たらしく、手にはおたまを持ち、眉間にしわを寄せて山伏をにらみつけていた。
身じろぎもせず、山伏は答えた。
「歌仙殿。拙僧は瞑想中である。このままでいることが己にとって重要なのだ」
「手入れしながらでも瞑想はできるだろう!」
 語気を荒げて言う来訪者に、静かに言葉を返す。
「この傷が己の未熟さをよくあらわしている。……歌仙殿、拙僧をひとりにしてくれないか」
 山伏は、歌仙の視線が自分を焦がすような心地がした。
「己の未熟さ、か。僕は、きみが毎日鍛錬をしてきたのを知っている。そうやっていま瞑想したところで、すぐになにかが変わるわけじゃあないだろう」
 いらだちを隠さずに言う歌仙に、山伏は黙ったままでいる。
「そもそも、今回戦った相手はいつもと違ったじゃないか。毒矢を使ったり、落とし穴を掘ってきたりしたと五虎退から聞いたよ。情報をよこさなかった審神者が悪いのさ」
 禍々しい妖気を放つ敵に果敢に挑んだちいさな背中を思い出し、山伏はぎゅっと目をつぶった。あのとき退却していれば。
「主殿のせいではない。隊長である拙僧の判断がよくなかったのだ」
 重苦しい静寂が流れる。山伏が目を開けると、歌仙はおたまを持つ手をぶるぶると震わせ、かつてないほどに険しい表情で山伏をにらみつけていた。
「なんだいきみは! さっきからうじうじと! きみに修行不足だ、油断しすぎだ、隊長として責任をとれとなじればよかったのか!」
「歌仙殿」
「言っておくけれど、きみのところの隊員たちは、全員きみのことを心配していたよ。一番怪我がひどかった五虎退もさっき手入れが終わって、はやく山伏さんを手入れしてあげてくださいと言っていた。それなのにきみときたら! こんな暗い部屋に閉じこもっていつまでも出てこないなんてあきれるね!」
「しかし、拙僧には彼らに合わせる顔が」
「ないとでも言うつもりか。まったく、それは驕りもいいところだ! 自分だけが悪いと抱え込むつもりなんだろうが、少しは自分の隊の仲間のほうを向いたらどうなんだ!」
「己にそんなことが許されるとは思えないのだ」
「一回負けた程度で何故へこたれているんだ、きみらしくもない」
「しかし、かせ――」
 ちゅう。
 顔をしかめたまま、歌仙は山伏の顔に近づき、唇を重ね、そして離れた。
「今夜はビーフシチューだ。主に頼んで手伝い札を手配してもらったから、夕餉に間に合うように手入れしてくるんだよ。いいね」
 山伏は呆けた顔で、こくこくとうなずいた。
 それから三か月ほどの間、山伏は誉をとり続け、彼の隊は負け知らずであった。

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