口づけまで遠すぎる

 山から吹き下ろしてきた風が、歌仙兼定の髪をそよそよと揺らす。歌仙は、腕に抱えた洗濯物が飛んでいかないように端を押さえた。
「歌仙、次をこちらに」
 すでに干してある服と服のすき間から、山伏国広がひょこっと顔を出した。
「これを頼む」
 歌仙が洗濯物を手渡す。山伏はそれを受け取り、パンッとしわをのばした。すると、山伏はおやという顔をした。
「これは……兄弟の」
 山伏が手にしていたのは、山姥切国広がいつも身に纏っている布であった。物干し竿にかけながら、山伏は首をかしげた。
「確か、先週洗ったばかりのはずであるが。よく兄弟が洗わせたなあ?」
 粟田口のシャツを手早くハンガーにかけていきながら、歌仙はニヤリと笑った。
「つき合いの長い五虎退に頼まれると、断れないらしい」
「なるほど」
 この本丸に一番目と二番目に顕現した二振りは、苦労をしてきたぶん仲が良い。瞳を潤ませる五虎退に逆らえない山姥切国広の様子を思い浮かべて、山伏は苦笑した。
 歌仙と山伏も顕現の順番が連続しており、その縁で出陣やら内番やらを共にすることが多かった。はじめて出会ったころには、まさか恋仲になるとは、互いに夢にも思っていなかったが。
「さて、この布団で終わりだ。手伝ってくれ」
 歌仙が布団を抱えて山伏に声をかけた。自分の担当ぶんを干し終えた山伏は、歌仙の元へ行き、布団干しを手伝った。

「ところで、内番のときも高下駄を履いているのは何故なんだ」
 布団干しが完了し、一息ついたところで歌仙が山伏に問いかけた。
「何故とは」
 突然の話題に、山伏は少々面食らう。
「畑仕事などには向かないんじゃないのか」
 歌仙が山伏の隣に立ち、その顔を見上げた。もともとの身長差と高下駄で、必然的に歌仙は少し上目遣いになる。歌仙の手が山伏の腕に触れる。そんな歌仙の目をしっかりと見ながら、山伏は答えた。
「無論、体幹を鍛えるためである」
 山伏のはきはきとした物言いに、歌仙は深ーくため息をついた。
「情緒のかけらもないな」
 歌仙の意図を図りかねた山伏は、首をひねった。
(体幹を鍛えることのなにが気に入らないのであろうか……)
 にわかに風が強く吹きすさび、先ほど山姥切の布が強くはためく。山伏がそちらを見ると、布が風にあおられた勢いで、洗濯ばさみがいくつか弾け飛んでいた。
すべて外れて飛んでいかないようにしなくてはと、山伏は駆け出そうとする。
「待った」
 意識が洗濯物に移った山伏の首もとの数珠を、歌仙が思い切りつかんだ。
 山伏の首が軽く締まったが、よろけずに踏ん張った。顕現したばかりの頃ならばいざ知らず、鍛え抜かれた山伏の体は、ちょっとやそっとの衝撃では揺らがない。
「何の真似であるか」
 歌仙の手をさっさと振り払い、山伏は山姥切の布をかけ直しに行く。地面に落ちた洗濯ばさみを拾うと、手早く干し直す。
 これでよし、と満足げにうなずいた刹那、山伏の腹部に強い衝撃が走った。山伏の体がくの字に曲がる。
「ぐふっ」
 息が強制的に吐き出させられ、山伏の思考は停止する。歌仙の右手が山伏の腹を思いっきり殴ったのだと脳が認識するかしないかのうちに、数珠が手前に引っ張られて、山伏は前につんのめる。その体を歌仙はがっちりと抱きとめた。
 そして、山伏のあごをくいっと引き寄せた。
 ちゅっ。
 歌仙が山伏に軽く口づけをした。
「!」
 不意打ちに何もできない山伏に、歌仙は耳元で囁いた。
「高い下駄を履かれると、僕のほうから口づけもできないね」
「………………」
「君にこっちを見てくれと言外に伝えたつもりだったが……通じなかったようで残念だよ」
 山伏はその言葉に答える代わりに、歌仙の腹を思いっきり殴り返した。
「ぐはっ」

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