花占い

 洋館の廊下に敷きつめられた赤いカーペットは足音を、そして着物の衣擦れの音さえも吸い取ってしまいそうだった。 昼食の後片付けを終え、歌仙は3階の自室へ戻るため廊下を歩いていた。
 玄関ホールに差しかかったとき、誰かの話し声が聞こえた。立ち話をしているようだ。
「ねえ、花占いって知ってる?」
 はしゃぐように言う、この声は乱だ。
「何なにー、主に教えてもらったの?」
 相手は清光のようだ。興味津々に答える。
「恋占いなんだけどね」
 たすき掛けをほどこうかと考えながら歩いていた歌仙は思わずぴたりと足を止めた。恋占い。
「好きな人のことを思い浮かべながら、その人は僕のことが好き、嫌いって交互に言いながら花びらを一枚ずつ摘んでいくんだって。最後に好きで終わったら、その相手は自分のこと好きなんだってわかる占い」
「あー。あの人、頭の中もお花畑だもんねー。そーいうの好きそう」
「そんなこと言っちゃって、ためしてみようかなーなんて顔してるよ?」
「そ、それはあんたの気のせいー」
「冗談だよっ」
 笑い声が歩いてこちらに来る気配がして、歌仙は鉢合わせしないようにあわてて道を引き返した。
「立ち聞きなんて、僕の信条に反するな」
 花占い、恋の占い。たった今耳にしたその言葉を、盗み聞きの気まずさと一緒に口の中で転がす。
 結局キッチンまで戻り、裏口から庭へ足を運んだ。そこには四季折々の花々が同時に咲き誇る庭園が広がっていることを、歌仙は知っている。
(すべての季節の花を同時に咲かせたいなんて。まったく、我が主ながら理解できないな)
 色とりどりの花畑を迷うことなく歩み、目的の花の前にしゃがみこんだ。
 主の趣味に付き合って種から育てたガーベラ。先ほどの乱と清光の会話で聞いた花占いにうってつけではないか。風にそよぐかわいらしいその花を、膝に頬杖をついてじっと見つめた。花占い、恋の占い。
「歌仙殿」
 ガーベラに右手を伸ばした瞬間、背後から声がした。ハッとして振り向くと、いつの間にかあずき色のジャージに身を包んだ男が立っていた。もう少しで手折るところだった。歌仙はいそいで手をひっこめた。
「拙僧が近づいても気付かないとは、どうなされた」
 そう言って、山伏はニッと歌仙に笑いかけた。まっすぐな笑顔のまぶしさについと顔を背け、目の前のガーベラを見やる。
「きみがここに来るとは珍しい」
「この庭には拙僧の知らない様々な花が咲いている。それらを学ぶも修行である」
 山伏は楽しそうにカカカと笑いながら歩いてきて歌仙の隣に立ち、花をしげしげと眺めた。並んで花を見るこの状況が気恥ずかしく、歌仙はうつむいた。顔色に出ていないか心配だ。
「ふむ、見事であるな。この花はガーベラというのであろう?切り花にしても長持ちするのであったか」
「おや、知っているのかい」
「知識の上では。こうして実際に見ることが肝心要である」
「ずいぶんと熱心だね」
 不思議に思って山伏の顔を見上げると、太陽のような笑顔の彼と視線がぶつかった。
「拙僧は、歌仙殿の力になりたくてな」
 思いがけない言葉に歌仙は目を見開き、あわてて顔をそらした。変な顔を晒してしまった。
「主殿は、歌仙殿と付き合いが長いのをいいことに、雑事を任せすぎである。拙僧がこの庭の管理を手伝えれば」
「そうか、それはありがたいな」
 歌仙はさえぎるように声を発した。すこし裏がえってしまったかもしれない。
「勉強が終わったら、ぜひとも手伝ってほしいね。わからないところがあったら教えるからさ。じゃあ僕はこれで」
 早口でまくし立て、山伏の横をすり抜ける。顔をまったく見ないでいたことを、不審に感じただろうか。かせんどの、と呼ぶ声に聞こえない振りをして、風のように館へ戻った。
 どくどく。どくどく。心臓が早鐘のように打つ。あのまま隣に居たら、この音が聞こえてしまっていたのではないか。自室のドアを後ろ手に閉めながらそう思う。
(人の身というのは、ほんとうにやっかいだ)
 鍛練をして体を動かしたり、戦いの前の緊張で心臓の動きが早くなる。人の体を得てから学んだことだ。しかし、この動悸はそれらが原因ではない。
 歌仙殿、と自分に投げかけられた言葉、自分へと向けられた笑顔。先ほどのやりとりを思い出すだけで、また胸のあたりがきゅうっと締め付けられるようだった。制御できない己の体がもどかしかった。このように苦しんでいるのは自分だけなのではないか。
 甘やかに締め付ける胸を右手で押さえつけ、歌仙は目を閉じた。主と育てたガーベラがまぶたの奥で風に揺れた。花の命を散らすなどという無粋なことをしてでも彼の気持ちを知ることができたなら、この苦しさはおさまるのだろうか。
(彼の気持ちがわかったところでどうするというんだ)
 歌仙は胸を押さえたままずるずると座り込み、ため息をついた。雅を愛する文系を名乗る以上、こんな姿は誰にも見せられない。しかし、解決策は思い浮かばないのだった。

 明くる日の朝、歌仙は庭園で日課の水やりをしていた。まいた水に光が反射し、色とりどりの花たちがキラキラと輝く。その美しさにしばし見とれていると、背後から足音が聞こえてきた。
「歌仙殿」
 振り向くと、昨日と同じように山伏が立っていた。相変わらずのまぶしい笑顔に、歌仙はやはり目をそらした。
「またきみか。今度はどうしたんだい」
「歌仙殿に教えを乞いに参った」
「はあ?」
 意味がわからず、山伏の顔を見つめる。ぽかんと口を開けた歌仙を見て、山伏はいっそう笑って言った。
「昨日、歌仙殿がわからないところがあれば教えると言ったので、その通りにしたまでのことである」
 確かにそう言ったけれど、即日来るとは思っていなかった。歌仙は何も言えずに口をぱくぱくさせた。
「ぜひとも、拙僧にこの庭と花のことを教えていただきたい」
 ずいと一歩踏み出して身を乗り出してくる山伏に歌仙は後ずさりした。予想外の出来事に心臓が飛び跳ねているのがはっきりわかる。
「お頼み申す、歌仙殿」
 山伏のまっすぐな視線に絡みつかれて、身動きがとれない。思わず言葉が口をついて出てきた。
「僕は、文系だからね。容赦しないよ」
「おお、ありがたい!これからよろしくお願い申し上げる」
 犬歯を見せて笑う山伏にばれないようにこっそりため息をついた。 花占い、恋の占い。花を散らさなくても、共に過ごしていれば彼の気持ちがわかるかもしれない。こちらの気持ちが伝わってしまう可能性には、目をつぶるとしよう。

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