ふと顔をあげると審神者が机に突っ伏して寝ていたので、堀川国広はタオルケットをそっとかけてやった。部屋のすみに置かれたタンスの上の時計を確認すると、午前一時をまわるところだった。
ここ数日、通常業務に加えて審神者自身が増やした仕事に追われて、疲れていたのだろう。本来ならば必要がなかったその仕事を自らに課した主の熱血さは嫌いではなかった。そして、後先考えずに突っ走る審神者の世話を焼くのが近侍の堀川の仕事であった。
審神者の顔の下敷きになっている冊子をそっと引っ張りだす。幸いなことによだれはついていない。ほっと息をついた堀川は、何者かが足音を殺して歩いている気配を感じ、耳をそばだてた。
(廊下の軋みやすい部分を避けて歩いている。歩幅は狭い。ということは、うちの短刀の誰かかな)
敵の侵入ではないことに胸をなでおろすと、その気配は審神者の部屋の前で止まった。しかし、そのまま動かない。
(……?)
不思議に思った堀川がふすまをそっと開けると、廊下に立っている小夜左文字がびくりと体を震わせた。
「こんな時間にどうしたの。もうみんな寝てるよね」
すやすやと寝息をたてる主を気遣い、抑えた声で問いかけると、小夜は言いにくそうに下を向いた。見ると、その手に一冊のノートを持っている。その薄茶色の表紙には覚えがあった。
「あれ?それって、絵日記じゃ」
思わず声を上げると、小夜はさらにうつむいて、ノートを握る手に力をこめた。堀川には、小夜が今にも泣いてしまうように思えた。しかし、小夜はただ床を見つめて黙っているだけだった。
背後で審神者がもぞもぞと寝返りを打つ音が聞こえた。ここで話していたら主を起こしてしまうかもしれない。堀川はかがんで小夜に笑いかけた。
「とりあえず、移動しよっか。何があったのか、話してくれる?」
小夜は顔をあげてこくりとうなずいた。
七月の終わり、主は本丸にいる全員を集めてこう言った。
八月一日から三十一日まで、当本丸は夏休みとする。ただし、そのぶん宿題を課す。
審神者から通達された課題は漢字ドリル、計算ドリルなどの問題集を数冊と、読書感想文、自由研究。そして、小夜が握りしめていた絵日記だった。
堀川は小夜を連れて台所へ移動した。主や仲間たちの部屋から遠いここならば、話をしても大丈夫だろう。小夜を椅子に座らせ、冷蔵庫から麦茶を取り出し二人分グラスにそそぐ。
「はい、どうぞ」
グラスを小夜の前に置きながら、ちらりと絵日記のノートに目を向けた。一日一ページ形式の絵日記ノート。
「ありがとう」
小夜はちいさな声でそう言うと、グラスを手に取り麦茶をちびりとなめた。堀川も小夜の前に座って麦茶に口をつけた。ひんやりとした液体がのどを通り抜けていく感覚は、どこかくすぐったい。
グラスを机に置いて小夜を見る。彼はグラスを両手で持ち、どう切り出したらいいのか迷っているようだった。堀川は自分から切り出すことにした。
「これって、小夜くんのぶんの絵日記だよね。出しそびれてたの?だったら僕があずかるよ」
そう言ってノートを手に取る。すると、小夜は怒ったような悲しいような表情を浮かべた。
「わからないんだ」
「なにが?」
「その日記を、そのまま主に見せていいのかわからないんだ」
「えーっと。これ、読んでみてもいい?」
小夜がうなずいたので絵日記をめくる。どのページも絵と文が書き込まれていて、特に問題がないように思えた。しかし、しばらく読んでいると彼の言いたいことがわかってきた。
『八月三日。西瓜を切って食べた。』
『八月十六日。海に行った。』
すべてのページがこのような調子で書かれている。
「はじめはこのまま出すつもりだったんだ。でも、出さなきゃいけない日に歌仙の日記をちらっと見てしまって。たくさん書き込んであって、これじゃだめだと思ったんだ。でもどうしたらいいのかわからなくて」
そう言うと、小夜はまたうつむいてしまった。
「うーん。でも、このままでいいんじゃないかなあ。兼さんも俺は絵が描けねーんだよって怒りながらページを埋めてたし。やってあれば主さんも怒らないと思うな」
「そうかもしれない。でも」
それきり、小夜は押し黙ってしまった。聞こえるのは虫の声だけだ。
(どうしよう)
こういうとき、ほんとうの人間だったらどんな風に言葉をかえすだろうか。相手の気持ちを推し量ったりだとか、そういったことを人はいつのまにか身につけている。自分たち刀は、いつ身につくのだろう。
苦し紛れに手に持ったままの絵日記をぱらぱらとめくる。
「えと、このページ、二十三日って何をしたの?何もないってわりにきみたち兄弟の絵がかいてあるけど」
堀川が開いたページには、『今日はとくになにもなかった。』という文とともに、左文字の三人が並んでいる絵が色えんぴつで書かれていた。小夜は少し視線をさまよわせた。
「それは。夏休みの間は、兄様たちと一緒に過ごすことが多くて。たしか、その日はほんとうになんにもない日だったから、兄様たちと日陰でただ座ってお茶を飲んだだけだった」
そう話す小夜の顔をよく見ると、くちもとが少しほころんでいるように見えた。なんにもない日のことを話しているだけなのに。
「じゃあ、この日は?十九日、この日はみんなで海に行った日だよね。でも絵は海が描かれてないみたいだけど」
堀川は赤くぬりつぶされたページを開いて言った。
「それは、海に行った帰り道に見た夕焼けがきれいだったから描いたんだ。海はちょっとこわかった」
この日は堀川もいっしょに海に行った。小夜はずっとしかめっ面をしていたので、楽しくなかったのかと思っていた。
「……さんは」
「え?」
「ほりかわ、さんは、海。平気だったの」
そういえば、名前を呼ばれたことがなかったかも。小夜のぎこちなさにくすりと笑う。
「それ、兼さんや兄弟にも心配されたなあ。そのへんの記憶はあいまいだし、ぜんぜん問題ないよ」
よかった、とちいさく呟いて、小夜はまたグラスの麦茶をひとくちなめた。その様子を見て、堀川はまたくすりと笑った。
「やっぱり、絵日記はそのまま出していいと思うよ」
戸惑いの表情を浮かべる小夜に笑いかける。小夜がどんな風に思っているか、主が何を考えているか、想像しながらゆっくりと言葉をつむぐ。
「そのまま出して、主さんがこれじゃ足りないって言ったら、今話してくれたみたいにすればいいんだよ。大丈夫大丈夫。それに、僕から主さんに言っておくから」
小夜は考えるように少しうつむいた。
「いいのかな」
堀川は力強くうなずいた。
小夜を部屋に送り届け、堀川は主の部屋へ向かった。軋む廊下をそっと歩く。戻ってみると、審神者は同じポーズのまま寝ていた。これではもう朝まで起きないだろう。
抱きかかえようとしたとき、先ほど主の顔の下から救出した冊子が目に入った。よく見るとそれは堀川の絵日記だった。手に取りぱらぱらとめくる。すると、どのページにも赤ペンで大きく花まるが書いてあるのが目に飛び込んできた。三十一日間、ぜんぶ花まる。
絵日記を閉じて机の上に置く。そして、堀川はいつもよりやさしく審神者を抱き上げ寝所に運んで寝かせてやった。
「僕も寝なくちゃ」
そうつぶやき、堀川も自室へ戻る。相部屋の浦島を起こさないようにそっとふとんにもぐりこむ。
目を閉じると夏休みの思い出が次々に浮かんでは消えた。明日、主はきっと、終わっていないぶんの宿題の採点と確認に追われるだろう。近侍の堀川はその手伝いをさせられることになる。それが堀川の仕事であるし、刀に夏休みをくれる変わり者の主の仕事を手伝うことは、けっこう好きなのだ。
はなまる夏休み
とうらぶ