もうすぐ兼さんが遠征から帰ってくるなあ。そんなことを考えながら切った野菜を皿に盛りつけていた堀川国広は、味噌汁の吹きこぼれる音に気付いて振り返った。
「わわわ! たいへん!」
堀川は急いでコンロの火を止める。この本丸の厨房は審神者就任一周年のお祝いに大幅リフォームをしたため、モダンなシステムキッチンだ。薪で火を起こしていた初めのころのおんぼろ本丸を知る堀川は、火加減をワンタッチで調節でき、給湯ボタンを押せばお湯が出てくる文明の利器に感動して涙を流したものである。
鍋のふたを開け、様子をうかがう。
「うーん、まあ、大丈夫かな? 歌仙さん、おたま貸してください」
そばにいる歌仙に声をかけるも、返事がない。
「歌仙さーん?」
歌仙はおたまを握りしめたままぼうっと窓の外を眺めている。そもそも、味噌汁を作っていたのは歌仙だ。料理上手な歌仙が味噌汁を吹きこぼすことなどあっただろうか。心配になった堀川は鍋のふたを放り出して歌仙の肩をつかんで揺さぶった。
「歌仙さんっ! 大丈夫ですか!? どこか具合がわるいんですか!?」
ガクガクと揺さぶられて、ようやく歌仙は堀川の顔を見た。顔色はいつもよりいいくらいだ。体の調子がわるいわけではなさそうだと判断した堀川は歌仙の肩から手を離した。
「はっ。なんだ、敵襲かい!?」
「違います」
うろたえている歌仙の手からおたまを奪い取りながら、堀川は言う。
「どうしたんですか。味噌汁を吹きこぼすなんて、歌仙さんらしくもない」
おたまで味噌汁を小皿にすくい、味見をする。これなら兼さんも大丈夫だと言ってくれるだろうと満足げにうなずく。
「すこし白昼夢を見ていたようだね」
歌仙はきまり悪そうに髪を留めている結い紐をいじった。
にわかに外の方から騒がしい声が聞こえてきた。どうやら、遠征部隊が帰還したらしい。
「あ、兼さんたちが帰ってきましたよ! 急ぎましょう!」
「あ、ああ、そうだね」
今日の昼食は豚キムチ丼と味噌汁とサラダである。簡単メニューだが人気が高く、一週間に一回はこの献立だ。決して手抜きではない。堀川は慣れた手つきで盛り付けていきながら、ちらりと歌仙の様子をうかがった。いつもならば神が降臨したかのような手さばき(堀川はひそかに「KASEN‘s GOD HANDS」と呼んでいる)であっという間に盛り付けを完了させるのに、今日はどうにも要領がわるい。窓の外をちらちらと見てはため息をついている。
「歌仙さん、いったいどうしちゃったんですか? まるで恋でもしているみたいに見えますよ」
ピタリと歌仙の手が止まった。微妙な空気が堀川と歌仙の間に流れる。
(あ、これは触れないほうがよかったのかな)
堀川の背につめたい汗が一筋つうっと流れ落ちる。
「堀川くん」
「はいっ」
歌仙の神妙な表情に、シャキッと背筋を正す堀川。
「……やはり、傍目にわかってしまうものなのかい?」
「え?」
「僕が山伏くんに恋い焦がれていることが」
「ええええええ!?」
「……というわけなんだよ兼さん」
「ほお、あの之定がねえ」
みたらし団子をほおばりながら和泉守兼定は言う。串の一番下の団子をきれいに食べることにかけて、この本丸で和泉守の右に並ぶものはいない。おやつを食べながら、堀川は先ほどのことを和泉守に話したのだった。
「しかしよお、国広。勝手にそれをオレに話してよかったのか? かなりデリケートな話じゃねえか。ついつい聞いちまったオレもオレだがよ」
あたらしく串に手を伸ばしながら和泉守は困った顔をした。それを見て、堀川も眉を寄せる。
「うーん。歌仙さん、変な顔をしていたんだよね」
「どういうこった」
「キッチンから出て行くときに、なんて言えばいいかなあ、決死の表情をしていたんだ」
「さすが之定だぜ。熱いな」
和泉守はなるほどというようにうなずきながら団子を口に運ぶ。
「え、どういうこと?」
「心に秘めた花が見つかっちまったから、散らしに行く決心をしたんじゃねえか」
「ええええええ!! そんな!!」
堀川は思わず和泉守に詰め寄った。
「うぐっ」
堀川の突然のタックルに、和泉守は団子をのどに詰まらせた。堀川はあわてて和泉守にお茶を差し出す。それを受けとった和泉守はゴキュゴキュとお茶を飲み干し、ふうと一息ついた。
「あぶねーな、国広」
「ごめん、兼さん。おかわり注いどくね」
和泉守の部屋に常備してあるポットからお湯を注ぎながらも、堀川は申し訳なさそうに体を縮こまらせる。
「僕、余計なことをしてしまったんだね。歌仙さんが突然想いを伝えて、玉砕したら僕のせいだ。前に主さんが言ってたんだ、恋はじっくりあせらずにって」
「別に、それはどうでもいいだろ。主殿の経験談なんざ、じっくりやったあげく失恋した話しかねえだろうが。話に付き合わされるこっちの身にもなれってんだ」
「それもそうだね」
「だろ?」
「安心しかけたけど、それとこれは話が別だよ……」
「そうだな……」
和泉守は串に刺さった団子3つをひとくちで食べてお茶で流し込み、立ち上がった。
「しょうがねえな。之定に思いとどまるよう説得しに行くか。心配だろ」
「ありがとう、兼さん!」
和泉守と堀川は、歌仙を探して本丸中を走り回った。すると、裏庭にきっちりと戦装束を着て帯刀している歌仙が立っているのを発見した。裏庭は物置しかなく、近づくのは内番の、それも必要なときだけと言っても過言ではない。
「あ、之定いたぞ」
和泉守が歌仙を指差す。そちらを見た堀川は、ハッとして和泉守を柱の影に引きずり込む。
「待って兼さん」
「なんだぁ?」
堀川は柱越しに歌仙の様子をうかがいながら声をひそめた。
「歌仙さん、さっきまで料理してたのに、今は戦装束だ。しかもここは裏庭」
その言葉に、和泉守もハッとする。
「もしかして、もう呼び出して待ってるのか」
「間違いないよ兼さん! こんなに遠くても歌仙さんの緊張が伝わってくるよ。間に合わなかった」
「さすがに今日とは思わなかったぜ……あ、あれ見ろ。山伏だ」
ジャージに身を包んだ山伏国広が、堀川と和泉守が来たのとは反対側から歩いて裏庭へやってくるのが見えた。二人が柱に隠れているのは気づかない様子で、山伏は歌仙のもとへ歩き、声をかけた。そのまま二人はなにやら会話を交わしているようだが、離れているため堀川と和泉守のところまで内容はわからない。
「どうしよう兼さん……今この柱から移動したら、僕たちの存在がばれるよね」
「もうオレたちにはどうしようもねえよ……」
堀川と和泉守がひそひそと話していると、裏庭の歌仙が突然怒りだした。歌仙は鼻をつまんで、山伏に説教を始めたようだ。
「そういえば、兄弟は馬当番だったなあ」
「それで之定は『くさい!』とかなんとか言ってるんだな」
二人は歌仙の様子にハラハラしながら柱の影から様子を伺った。
機関銃のように怒る歌仙に対し、山伏が何かを答え、笑い声をあげた。すると、歌仙は突然うつむいて黙ってしまった。
「なんだ? 山伏は何を言ったんだ」
「兄弟って、不意打ちで恥ずかしいこと言ったりするんだよね」
「確かにそうかもな。しかし之定、照れてる場合じゃねえぞ!」
気合いを入れて呼び出して、結局何も言えないのではと二人が心配していると、突然山伏もうつむいてしまった。和泉守たちのほうに背を向けているため、どんな顔をしているかはわからない。しかし、耳が赤くなっているのが遠くからでもはっきりとわかった。
「ははーん、之定のやつ、やり返したな」
「あの兄弟があんなに耳を赤くするなんて……」
堀川と和泉守は顔を見合わせた。
「兼さん、僕はてっきり歌仙さんの片思いなのかなって思ってたんだけど」
「もしかしなくとも、山伏のほうも」
二人が互いにうなずき合ったとき、ついと歌仙が山伏をまっすぐに見た。顔を真っ赤にして、一切の余裕のない歌仙の表情に、堀川と和泉守は固唾を呑んだ。何かを言おうと口をパクパクさせているが、なかなかうまく言葉にできないようである。
「ああっ! 歌仙さん、がんばって!」
「いつもの自分を思い出せ、之定!」
堀川と和泉守は手に汗を握り、歌仙と山伏を見守る。
「………………」
歌仙の口が、ようやく言葉を紡ぎ出す。それを聞いた山伏は、すっと顔をあげて、歌仙を見つめ返した。
「………………」
そして、歌仙の手を取った。
見守っていた二人は、思わず歓喜の声をあげ、ハイタッチをした。
「……ぃやったーーーー!!!!」
「よっしゃあーーーー!!!!」
「これはどこからどうみても大成功だやよね兼さん!?」
「ああ! 見てるこっちまでどきどきしちまったぜ」
「なんだか僕、感動して涙が出そうだよ」
「おいやめろよ、泣くところじゃね……………」
和泉守の言葉が尻すぼみに消えていく。急に青ざめた和泉守の表情を見た堀川は、その視線の先を追った。
「あっ」
堀川の顔から血の気が引いた。
「……きみたち、覗きとはいい趣味してるじゃないか」
二人の視線の先には、全身を怒りのオーラで包んだ歌仙と、決まり悪そうに苦笑いを浮かべる山伏が立っていた。
「まあまあ、歌仙殿」
「山伏くん、きみはいいのか」
歌仙は山伏をギロリと睨む。山伏はうっと首をすくませた。
「よくはないが」
「当たり前だろう。堀川くん、和泉守。きみたち、いったい、いつから、いたんだ……?」
歌仙のジットリとした視線に、堀川と和泉守は命の危険を感じて震え上がった。
「あ、その、僕、そろそろ洗濯物を取り込まなくちゃいけないんで!」
「えっと、オレもだ!」
堀川と和泉守は、脱兎のごとく逃げ出した。
「あっ、こら!」
歌仙が声をあげたが、聞こえないふりをして走り去る。とりあえずは追ってはこないようだった。和泉守の部屋に戻った二人は、息を切らして座り込んだ。
「はあ、はあ……本丸で本気で走るの初めてだったかも」
「ふうう、本丸で命の危険を感じるなんてな……」
「なんだか疲れちゃったね。兼さん、お茶淹れるね」
「おっ、ありがとよ」
和泉守は、置いたままにしてあった湯飲みを堀川に渡す。
「なんだ、国広。ニヤニヤしてるぞ」
「え? そうかな? それを言ったら兼さんもだよ」
「そうか!?」
二人は互いに顔を見合わせ、同時に笑い出した。
「……はは」
「ふふ」
「之定には悪いが、見届けられてよかったな」
「僕もそう思うよ」
「終わりよければすべてよし、ってな!」
二人はもう一度ハイタッチを交わしたのだった。
この後しばらくの間、堀川と和泉守は歌仙から冷たい目を向けられ続けるのだが、それはまた別の話である。

